パラオスポート号で初ダイブクルーズ vol.2 オレンジビーチ

パラオ

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パラオスポート号で初ダイブクルーズ vol.1 ペリリュードロップの続きです

さっき朝飯を食べたばかりなのに昼ご飯を食べての2本目もペリリュー島
低気圧の影響で風が強く、うねりも出ているために潜れる場所は西岸のオレンジビーチだけということでした

パラオスポート号でのダイビングスケジュール

タイムスケジュール

毎日、サロンの壁にその日のスケジュールが書かれています

06:30 ダイビング1本目
08:30 朝食
09:45 ダイビング2本目
11:30 昼食
12:45 ダイビング3本目
15:45 ダイビング4本目
18:30 夕食

19:20 ナイトダイビング(あれば)

ダイビングの間は3時間空いていますが、1時間は潜っているし準備と片付けもあるので実質1時間弱時間があきます
空き時間を部屋で過ごそうにもベットしかない部屋なので寝るか、サロンやボートデッキ、サンデッキで過ごすことになります

2本目 ペリリュー島 オレンジビーチ

昭和十九年十一月、太平洋戦争の天王山となったパラオ諸島・ペリリュー島で、祖国の存亡をかけた戦いの末、日本軍はついに玉砕していった。
 アメリカの精鋭部隊・第一海兵師団二万八千四百名(アメリカ側発表)が、日本軍の守備するペリリュー島への敵前上陸を敢行したのは、昭和十九年九月十五日の早朝であった。
 遥か沖合いに集結したアメリカ軍の大量送船団から、海兵隊を満載した上陸用舟艇が一斉に吐き出されたとみるまに、天然の防波堤になっている珊瑚礁に接近してくる。その数は3百隻をこえていたといわれる。
 そして、珊瑚礁の外側で、舟艇からくり出された水陸両用戦車が、猛烈な艦砲射撃の援護を受けながら一斉に海岸線に向って究進した。
 これに対して、すでにアメリカ側の情報を入手していた日本軍は、歩兵第二連隊第二大隊、同第五中隊、野砲一個小隊、工兵第三小隊(茨城・水戸連隊)と歩兵第十五連隊第三大隊(群馬・高崎連隊)が、徹底抗戦の布陣を引いて海岸線に対峙した。
 ペリリュー島は南北約九キロ、東西約三キロ、総面積三十平方キロに満たない珊瑚礁の小さな島であるが、日本にとってはフィリピン防衛の玄関口に当たり、アメリカ側には南方進攻の拠点となるために、日米ともに戦略上の重要な位置を締める島である。
 特に島内に日本軍が設置した飛行場は、南太平洋の制空権を得るための大きな要となるものであった。
 オレンジ・ビーチで展開された死闘は、この戦いの帰趨を決める白兵戦となった。
 鋭い爆発音とともに、日本軍が仕掛けた魚雷に触れて舟艇が木端微塵に飛び散り、アメリカ兵の血が内海をみるみるうちに真赤に染め上げていく。
 戦後、この浜がオレンジ・ビーチと呼ばれるのは、兵士たちの流血で海がオレンジ色に染まったからだといわれる。
 日本軍のこの猛反撃の前に、上陸の第一陣をになったアメリカ軍第一海兵師団は、将兵の五十パーセント以上の死傷者を出して、撤退を余儀なくされた。(アメリカ側発表)
 そして十一月、海岸を死守する日本軍の目前に再びアメリカ軍の強行上陸部隊が出動し、両軍に多くの死傷者をだしながらも、ついにペリリュー島はアメリカ軍の手におちた。

引用:オレンジ・ビーチの戦い

丸っと引用してしまいましたが、実はペリリュー島は第二次世界大戦で激戦だった場所
オレンジビーチもアメリカ軍兵士の血でビーチが染まったことからこの名前がついたとされている、そんな場所です

テングカワハギ

潜ってみればそこは珊瑚が一面に広がっていて流れも強くない場所
写真はテングカワハギ

はじめてみたので一生懸命追いかけっこしましたが今ひとついい写真が撮れず・・・

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チョウチョウ魚もいろんな種類が
これはなんていう名前だったが忘れちゃいました

ミスジチョウチョウウオ

こっちはたぶんミスジチョウチョウウオ
チョウチョウウオはみんな差が微妙だから難しい・・・

フレームエンジェルフィッシュ

ヤッコ系もいろんな種類
これはフレームエンジェルフィッシュ

全く寄らせてくれないので必死で遠目からの撮影

ハタタテハゼ

シパダンでも見たハタタテハゼ
きっといるんだろーなーと思って探してたらやっぱり砂地にいました

ハゼ好きとしてはいいポイントでしたがパラオに来たのに群れが全然いないな…って感じの2本目でした
3本目はいよいよパラオっぽいポイントジャーマンチャンネルに行きます

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